2018年2月15日木曜日

2018 劇団通信1・2月号

書物によって人は学び、影響され、生き方の指針にもなります。

最近読んだ「サピエンス全史」上、下巻(ユヴァル・ノア・ハラリ著 柴田裕之訳)はこれまでの私の考え方を大きく揺るがすような衝撃の一冊になりました。

先ず著者のとてつもなく幅広く深い知識、分析力や考え方に感心し、難しくて私にはついていけないような箇所も多々あったものの、「人類史の常識をくつがえす」と言われているようにあらゆるジャンルから切り込んできて、現代人の生き方はこのままでいいのかと鋭く迫られているような驚愕の本です。

読後改めて開くことも多く、確かめながら更に熟読したり、いつでも読み返せるように手元に置いておく貴重な一冊になりました。  例えば誰にもわかりやすく興味を引くベージがあります。

「豊かな現代社会では、毎日シャワーを浴びて衣服を着替えることが慣習となっている。だが、中世の農民たちは、何ヶ月にもわたって身体を洗わずに済ませていたし、衣服を着替えることもほとんどなかった。身体の芯まで汚れて悪臭の漂うそうした生活を想像するだけで、私たちは吐き気を催す。だが、彼らは気にも留めなかったらしい。長い間洗っていない衣服の感触や臭いに慣れていた。(中略) 考えてみれば、これは少しも不思議なことではない。何しろ私たちの類縁であるチンバンジーも滅多に身体を洗わず、決して服を着替えない。また私たちも、ペットの犬や猫が毎日シャワーを浴びず、毛皮を取り替えないからといって、嫌悪感を抱いたりはしない。それどころか、そうしたペットを撫でたり、抱きしめたりもすれば、彼らにキスしたりもする」

このような内容一つとっても色々感じることはあるのではないでしょうか。






2017 劇団通信12月号

「自前の劇場」を持ちたい。以前から描いていた夢がただ描いているだけで実現に向けて何も努力してこなかったことに今頃になって気がつきました。

ただ漠然と劇団に専用の劇場があったらどんなにいいだろうと考えていただけでしたが、それでも各地の「子どもミュージカル」が夏休みに上京して何日間か交代で上演できるような劇場があったらとか、「大きな夢」のレパートリー作品を毎日上演し、子どもたちがメインのミュージカル劇場として他に類を見ない活動ができたらとか、各地から上演のために集まってくる劇団員のための宿泊設備や、父母会の人たちが運営するレストランやカフェもあったらなど、私の中で夢だけは広がっておりました。

しかしそれはただの夢でしかなく実現に向けての具体案もなくいつの間にか時間が過ぎてしまっていました。そうだったのか! でもまだ私に与えられた時間は充分にある! 75歳になったとたん急に思い始めなんとか実現に向けて一歩でも踏み出そうと心の虫が騒ぎ始めました。

どうしたらいいのか、もちろん私一人では何もできない。劇団の父母会の中には色々知恵を貸してくださる方もきっといらっしゃるに違いない ! そうだ、みなさんの協力を仰ごう !  

矢も盾もたまらぬ高揚感が漲ってきました。スタート地点はゼロです。ここから一歩でも踏み出してみよう。一歩進んで見ればこれまで見えなかった新しい発見やアイディアが出てくるかもしれない。先ず劇団BDP専用劇場実現プロジェクトを作り、参加してくださる方を募ってみよう。最初は夢を語る仲間という感じで思い思いの意見を出し合っていただき、楽しい語らいの中から実現に向けてのアイディアとエナジーが生まれる可能性もあります。

誇大妄想と思われるかもしれませんが、劇団組織としての大きな誇大妄想がやがて専用劇場建設へと繋がっていくことを信じたいのです。




2017 劇団通信11月号

新百合子どもミュージカルの劇団員の植田温子は以前にも紹介しましたが今年の夏の高校野球東京大会の開会式で君が代を独唱しました。新聞にも写真入りで取り上げられましたが、その中に彼女は幼い頃から牛に向かって歌っていたという記事がありました。

実家が北海道の紋別で牧場を営んでいるので、10月8日の稲城KMの女満別大空町公演の後レンタカーで紋別の実家まで行って来ました。ご両親の案内で生まれたての子牛から分娩前の雌牛まで400頭の牛をじっくり見せてもらいました。成る程こんなにかわいい子牛の前で歌っていたのかと温子の幼少の頃を勝手に想像していましたが、ふと彼女は一体どうしてこんな紋別の片田舎から札幌の子どもミューシカルまで通っていたのかと不思議な気がしてきました。

植田温子は小4の時に札幌KMに入りましたが、紋別からバスで片道4時間かけて札幌まで毎週通い続けていました。従姉妹が札幌KMにいたので稽古前日の夜は泊まり、翌日稽古が終わるとまた4時間バスに揺られて帰るという並の人間にはできないことをやっていたのです。

小学生を一人で4時間かけて札幌まで行かせるご両親の寛容さにも脱帽ですが、更に中学を卒業して東京の国立音大付属高校に入学した彼女の一人暮らしを心配しながらも応援している親御さんの心意気にも感心してしまいました。

彼女は上京するとすぐに新百合KMに移籍し親代わりと称する父母会の方達の庇護のもとで勉学に励んでいます。日本の最果てに近い紋別で牛を相手に歌っていた少女が東京の神宮球場で15,000人の観衆が見守る中、君が代をアカペラで高らかに歌ったあの光景はいつまでも私の脳裏に焼き付いています。