2019年6月1日土曜日

令和元年 6月号

桜の季節が終わり新緑のまばゆい輝きが私の心を癒してくれています。
この原稿を書いているもうすぐ5月を迎えるという時期、我が家の窓から眺める景色も若葉の緑一色に覆われ季節が移り変わることの神秘さを思わずにはいられません。

少し遡って桜の季節を迎えた頃の朝、寝室のカーテンを開けると可愛い小さな蕾が小枝にしっかりとしがみついているのが手に取るように分かり、生の息吹を間近に感じながら春の訪れに毎朝窓を開けるのが楽しみになってきます。

蕾は日を追うごとに膨らんでいき命の誕生を思わせる開花の瞬間に心が踊ります。やがて満開を咲き誇る窓外の眺めは別世界にいるような、まだ訪れたことのない極楽浄土もきっとこのような安らぎに満ちた世界だろうと想像の喜びをこれでもかと掻き立てられるような桜の大画面に一変するのです。

30年も経った古いマンションでもこのような贅沢な環境で暮らしていられることの幸せを感じながらも年齢を積み重ねてきた自らの一生に思いを馳せ、桜の花が開花してあっという間に散ってしまうように時間の長さは異なっても人間の生命が誕生し死滅するという流れと同じような気がしてくるのです。

私たちに与えられた生命も必ず花が散るように終わりを迎えますが、それは肉体が死滅するだけのことであり桜の花が翌年また開花するように私たちに流れている生命は限りなく人間という肉体の花を咲かせてくれるように思います。

このようなことをいつも考えているわけではありませんが、景色のいい私の寝室から四季折々を見ていると自然の神秘さと共に自らの生を振り返ってみたくなるひと時でもあるからです。