2021年3月20日土曜日

令和2年 12月号

 作家三島由紀夫が自決して半世紀、マスメディアでは没後50年の特集記事で賑わっています。

1970年11月25日、私も血気盛んな28歳の時でした。陸上自衛隊市谷駐屯地に突入した三島由紀夫がバルコニーで演説しているのをテレビで見ていました。鉢巻をしめた勇ましい姿で日本の現状を憂いているような、日本のために決起を促しているような、周りの罵声ではっきり聞き取れなかった騒音の中での演説だったように記憶しています。

その後三島と一緒に乱入した楯の会四人のメンバーの内の一人古賀という男の介錯で割腹刎頚したという二ユースが流れてきました。三島由紀夫は小説家としては勿論、戯曲や評論、随筆、映画の監督、俳優としての出演、舞台の演出等とどの領域を取ってみても恐るべき才能を発揮して自己を顕示していましたが、そのような類稀なる才能を持った作家が思想的には極度に偏ったと思われた行動をとって45歳という若さで自らの命を絶ってしまったのです。

私はその頃赤坂乃木坂の今で言えば一等地の路地裏の古い一軒家の一部を借りて劇団を主宰し小劇場活動をしていました。詰め込めば30人位は収容できる空間で1ヶ月とか2ヶ月の芝居を上演していましたが、あの事件があってすぐ後に三島由紀夫の自決を題材にした「四人の戦士」という戯曲を自分で書いて演出し、主演しました。今タレントとして活躍している高田純次君も四人の戦士の一人として出演していました。

あの頃の私は三島由紀夫の憂国的な思想に共感し、上演したその芝居も独善的なもので、今思えば若さで突っ走った傲慢さの現れと省みながら恥ずかしい思い出として記憶に留めています。