2018年9月25日火曜日

2018 劇団通信9月号

劇団四季を創設し日本にミュージカルを定着させた第一人者の浅利慶太先生が亡くなりました。

現在の日本のミュージカル界は俳優を始め、舞台を支えるあらゆるスタッフが劇団四季の出身者か、または四季の流れを汲む人達であることを考えると、浅利先生の偉業はそびえ立っており、日本の演劇史上に燦然と輝く偉大な人物として君臨していました。

私も2年弱という短い期間でしたが四季の舞台に立たせてもらいました。四季に入るまでは四季のミュージカルを見たこともなかったし、自分のような役者がやるものではないという大いなる偏見を持っていました。

しかし四季に入って「オペラ座の怪人」を見て度肝を抜かれてしまいました。こんなすごい舞台があったのか、これまで知らなかったとはいえ自分の無知さ加減に打ちひしがれ、世界的にヒットしている最高のミューシカル作品が日本でも上演されていることの衝撃、あの時の驚きは今なお私の心に強く焼き付いています。そして入団したばかりの私がまさかその舞台に立つことになろうとは ! 
一気に私の人生が大きく転換してしまったのです。

のちに浅利先生の私に対する誤解が原因で私は四季を去ることになりましたが、今思えばあの時のあの事件があったからこそ「大きな夢」が誕生したことを考えると不思議な因縁と思わずにいはられません。

浅利先生のご逝去は少なからず私に複雑な思いを呼び起こしています。
先生のご冥福を心よりお祈り致します。 




2018 劇団通信8月号

昨今の演劇界やミュージカル界の華やかなこと、欧米並みに舞台が活気付き一般に浸透してきている現状はとてもいいことだと思います。

海外からの来日公演も珍しくなくなるほど頻繁になり、ブロードウェイやロンドンのウェストエンドで上演されているヒット作品を日本で観られる機会も増えてくるようになりました。また来日公演に限らず海外の作品がどんどん紹介され、劇団四季や東宝系の舞台では人気のロングラン公演が続いています。

しかしそれらの作品を誰でも気軽に観られる値段ではなく1万円を上回る入場料が当たり前のようになってきている現状を見て、制作費に莫大なお金がかかることは分かっていても割り切れないもどかしさを感じてしまいます。

オペラに至っては数万円は当たり前、金銭的に余程の余裕がない限り一般の人たちが家族ぐるみで観るなんてことはほとんど不可能に近いことです。特に俳優やあるいは音楽家として身を立てようとする若者たちにとって世界一流のものを直に観て刺激を受け、向上心を掻き立てられる折角のチャンスがあるのにも関わらず、経済の壁に阻まれ制限されてしまうのは残念でなりません。

俳優志望者はやることが沢山あってお金がかかります。ダンスや歌のレッスン料はバイトで捻出しその上に生活費も稼がなければならないので、とても高額な観劇料までは手が出せないのが現実です。

ハムレットではないが「これでいいのか、いけないのか、それが問題だ」





2018 劇団通信7月号

人の命は125歳までは生きられるという説に従えば、私は7月2日が誕生日だから残された人生はまだ49年もあることになります。

一体この先どのようになっていくのか、最近100歳の人が増えて来たからその辺りの感じは大体想像がつくものの、さらに25年先までを考えると手本になる人物がいないだけに宇宙人のような、或いは骨と皮しかないドンキホーテの馬のような感じが浮かんできてしまいます。

生きていても何の役にも立たなければ存在価値はゼロでしょうが、子ども達と一緒にまだ懲りずにミュージカルを創作しているとしたらギネスブックのトップを飾ることになるかもしれません。そんな楽しいことを想像していると私以外の人達はどうなっているのかと余計なことを考えてしまいます。

現在20歳代の劇団員が70代になっても役者を続けているのか、講師の先生たちは? 父母会のお母さんたちはとっくに後期高齢者になって100歳を超えてる人もいれば、100歳近くなってもまだまだ張り切って仕事している人もいるかもしれません。

そして125歳になった私を囲む老人会で夢コンの思い出話などができるでしょうか。入れ歯ガクガクさせ腰が曲がっている人や私を見ても誰なのか思い出せない人もいるでしょう。

そのような私だけが元気で周りの人の衰えだけをクローズアップして考えてみるエゴイスティックな楽しさ‼︎

そんなこと考えて楽しめるのも健康でいられるからで「わかさ生活」のサプリのお陰と感謝しています。



2018 劇団通信6月号

私は商売が下手だと以前からずっと言われ続けてきました。商売上手と言われるよりも私にとっては儲け主義ではない気持の表れのような気がして納得している面もありました。

25年前10人で劇団を始めた当初は会費が3,000円でしばらくはこの値段で続いていました。子どもたちが喜んでやってくれているのをみると採算を度外視してでもいいとボランティアのヒーローになったつもりでやっていました。

しかし劇団四季を辞めたばかりの50歳、生活のことを考えると青臭いことばかり言っていたのではやっていけません。長続きしないアルバイトを転々としながら食い繋いでいました。

劇団を始めて6年くらい経ってようやく曲がりなりにも私1人が劇団で生計を立てることができるようになりました。会費も5,000円から6,000円になり、やがて現在の金額になりました。それにしてもどうしてもっと思い切って値上げしないのか、業界関係者に言わせるとあまりにも安すぎると当初から言われていました。

公共施設を利用している団体の枠にも囚われ、また子ども達からお金をとることに何となく後ろめたさを感じている私の変な性格もあって「商売下手」というレッテルを貼られてしまいました。

しかし、現在のような組織が広がるともう私個人の問題ではなく、劇団スタツフの生活の安定を第一に考えなくてはなりません。

適正利益を生むことすらままならない現状を解消するための会費値上げを検討する時期に差しかかっています。








2018 劇団通信5月号

子どもたちがメジャーの舞台に憧れる気持ちも分からないでもありませんが、「大きな夢」はあくまでも情操教育の一環としてのミュージカル活動であり、プロの養成機関ではないとはっきり位置付けています。

もちろんプロとして通用するような実力のある子も育ってきていますが、あくまでも続けて行く中でさらに向上するように導いて行くことが大切で、子どもの時にメジャーの舞台に出たからといってすぐプロになれるような甘い世界ではありません。

しかし親子で勘違いしているケースが多く「大きな夢」でメインの役で褒められたりすると、すぐに外の世界でも通用すると勘違いしてやめていく例が結構多いのです。

他所ではほとんどが商業主義的で一般公募のオーディションをやって子どもを集めているに過ぎず子どもを育てようという環境ではありません。子どもの才能は一回や二回の舞台で発見できるものではなく、長い目で見て本質を見極め、様々な体験をしている中で発芽していくものです。

メジャーの舞台に出たからといってどうなるものでもなく、劇団にいてその後もしっかり力をつけていかなければ枯れてしまうだけなのです。

大人になって俳優の道に進みたいと思えば選択肢は限りなくありますが、子ども時代に培ったもの、努力し継続することの大切さ、その貴重な体験の上に立って将来を見極めなければ荒波に揉まれて消え去るだけです。

親の考えで子どもの成長が左右されることを考えると、親の愚かな判断で子どもの才能を摘み取ってしまう例が後を切らないのはとても情けなく残念でなりません。




2018 劇団通信4月号

今年の6月に「新ダンスの朝」を上演します。

ダンスの朝シリーズはかつて22歳だった若き乙女たち( 阿部奈音子、中沢千尋、霜島愛生 ) 三人のために私が書いた脚本で、彼女たちの成長に合わせて毎年書いていこうと思いながら四作で終わってしまった作品です。

初演の彼女たちはダンス力に秀でていてそれぞれのキャラクターを生かして面白楽しく、しかも思う存分踊るシーンがあって見応え充分の作品でした。今回上演するのはその第一作目のもので、多少手を加えたところもありますが、現在BDPの若手として活躍している三人をピックアップして臨むことにしました。

久々に過去の台本を開いて読んでみるとちょうど12年前の冬のオリンピックがあった年でした。「ダンスの朝」でも多少そのことに触れていて「なおこ」のセリフに「向こうの人はかっこいいよ。立ってるだけでも違う。テクニックでは引けを取らないけど、素材が違うのよ。プロポーションが ! ダンスやバレエは美を競うものでしょう。フィギュアスケートだってテクニックだけじゃ満足しない。見る人は更に美しさを求めるの」と言わせています。

確かに今年の冬のオリンピックで女子のフィギュアスケートで金メダルとったのは誰が見ても美しく可愛い15歳の女の子でした。

しかしミュージカルは大会と違って美を競うものでもないし、ダンス力や歌唱力を競うものでもありません。役柄の自然な動きや歌が作品の中でどのように表出できるか、役を生きることの方が大切で又難しいところでもあります。

「新ダンスの朝」の出演者はいろんな課題を抱えながらも役者として大きく成長してほしいと願わずにいられません。



2018 劇団通信3月号

京都大学で学生に最も人気のある講義をしている瀧本哲史客員教授が14歳に向けて書いた「ミライの授業」(講談社)とい本が出ています。

14歳に向けた「冒険の書」であり、大人たちが知るべき「教養の書」であると本の帯に書いてありますが、なるほど読んでみると全ての若者に、また親たちにもぜひ読んで欲しい内容なのです。「14歳のきみたちへ」と題して冒頭から切り込んできます。

『14歳のきみたちに、知っておいて欲しいことがある。きみたちは、未来に生きている。きみたちは未来の住人であり、大人たちは過去の住人なのだ。これは比喩 (たとえ話)ではなく、事実としてきみたちは、未来に生きている。その理由を、簡単に説明しよう。

14歳のきみたちは、21世紀に生まれた最初の世代だ。昭和の時代を知らないのはもちろんのこと、20世紀の空気にも触れていない。生まれた時には2000年代で、21世紀だけを生きてきた。一方、きみたちのお父さんやお母さんが中学生だった頃、21世紀という言葉は特別な輝きをもっていた。どんな輝きか?

 ひとことでいえば、21世紀は「未来そのもの」だった。人々は月や火星に宇宙旅行をして、自動車は空を飛び回り、人間そっくりのロボットと友だちのように暮らしている。誰もがそんな21世紀を想像していた。

きっと君たちにとっては笑い話でしかないだろう。月や火星に旅行するなんて遠い夢物語だし、自動車はいまだ黒いタイヤで地上を走り、ロボットと友だちになれるのはマンガの主人公くらいのものだ。

そう、残念ながら大人たちは、自分が夢見た21世紀を、実現できなかったのだ。
そして21世紀という言葉に触れるたび、大人たちは心の中でこう思う。

「こんなはずじゃなかった」と。』