2019年10月1日火曜日

令和元年 10月号

劇団で大変お世話になっている慶應義塾大学医学部眼科教授の坪田一男先生は数多くの書籍を出版なさっていますが、その中の一冊に「ごきげんな人は10年長生きできる」(文春新書)というのがあります。

「ごきげん」と言いう言葉は先生の専売特許のように日常の会話やあらゆる著作物にも登場しますが、「ごきげんだから幸せになれる」というのと「幸せだからごきげんになれる」という根本的な違いを医学的見地に立って解りやすく解説されています。

坪田先生の徹底した「ごきげん主義」は私などとても近づくことのできないポジティブな生き方で、お会いするたびに刺激を受け自らの未熟さを反省させられています。人の欠点よりも長所を認めてごきげんになれと言われても私のような凡人には容易くできることではありませんが、先生は学生時代に「どんな時でもごきげんを選択する」と決意して「人間は誰しも足を踏まれればムッとしそうにもなるし、思いがけない哀しい出来事に見舞われることもある。挫折や失敗を全く知らない人間なんているのだろうか」との一般的考えに対して先生は敢えて「ごきげん」というご自分の仮説を実証するために現在に至るまでその生き方を貫いていらっしゃいます。

私たちは日頃の多忙な生活の中でともすると忘れかけている「幸せを感じる力」「より良く生きる力」を取り戻すための具体的なトレーニングを怠ってはいないか、スポーツだって芸術だって最初からプロ並みに上手い人はいないのと同じように「しあわせ」も時間をかけてトレーニング(練習・訓練)することが大切だとはっきりお書きになっています。
今からでも遅くないといつも思ってはいますが‥‥



2019年9月1日日曜日

令和元年 9月号

今年に入って各子どもミュージカルの観客動員数がこれまでにないほど大きく伸びていて各地で動員記録を更新しています。

劇団員数が増えて新しい客層につながっているということもありますが、驚くべき数字を見るたびに父母会の皆さんの団結力の強さ、親子で公演という一つの目標に向かって取り組んでいる姿に頭が下がります。

一般的に舞台公演で最も重要視されているのは観客動員数で大手の興行団体やどこの劇団でも避けては通れない厳しい現実があります。主役やメインに配役される役者は知名度とチケットの売上げが絶えず天秤にかけられ売上枚数が少ないと実力があっても起用されなというのがこの業界の常識になっています。
逆に実力がなくても人気さえあればどんどん役が回ってくるというおかしな現象が続いていますが、興行的に成り立つことが第一と考えれば致し方のないことでしょう。

「大きな夢」の子ども達はみんなが同等の立場でオーディションに臨むためにチケットの売上げ枚数がキャスティングに反映されることはほとんどありませんが、それでもメインの役に選ばれた子は友達や親戚関係、知人など沢山の人に観てもらいたいためにノルマ以上のチケットを売ることになります。

また最近個人が売りさばく以外にも観客数が伸びた要因として近隣の姉妹劇団からの応援動員が多くなってきたことがあげられます。劇団BDPの主催公演などで知り合った劇団員や父母同士の交流が盛んになってきたためでしょうか。それにこのところ一般のお客様の口コミでの広がりも増える傾向にあり劇団の姿勢と作品が評価されている証であると素直に喜び感謝しています。



2019年8月1日木曜日

令和元年 8月号

児童劇団「大きな夢」はミュージカルの創作活動を通して子どもたちに宿る無限の可能性を引き出すことを前提に指導にあたっていますが、指導する講師によってもまちまちで一律に成果を評価できるものではありません。

学校でもベテランの教師もいれば初めて教職に就くような新人の教師もいます。どちらがいいのか一概には言えるものではありませんが、要は子どもの心をしっかり掴んで集中力を育ませ楽しい雰囲気の中で自然とスキルアップに繋がるような指導力が求められます。

経験の浅い講師にはとても難しい道のりではありますが一人前の指導者に上り詰める覚悟を持って切磋琢磨しながら子どもたちの可能性に挑んで欲しいと思います。劇団の講師に求められるものは指導方法はもちろんですが創作することへの深い理解力やセンス、更には精神的鍛錬によって築き上げる自らの人間性も重要なポイントになります。

実はこの人間性(人柄)というのが一番大切でその本質を見極めることが私に与えられた役割でもあります。講師に限らず人の本質を見抜くことは並大抵ではありません。人間社会全体を見ても言葉によるごまかしやその場しのぎの言い逃れ、素直に謝ればいいものを自分を良く見せようという嘘による弁解など後を絶ないのが現実です。

人間誰しも気分がいい時もあればそうでない時もありますが、劇団のレッスンでも不機嫌な表情で子どもに接したりヒステリックになったりする話を時々耳にすることがありますが良いことではありません。人間修行で一番難しいところですが、自らの人間性を高めるためにも一時的な感情をセーブできる調節機能の再起動を試みて欲しいと思います。




2019年7月1日月曜日

令和元年 7月号 

劇団四季の「ライオンキング」は昨年の12月に20周年を迎えた。
児童劇団「大きな夢」が出来て5年目の時だったが劇団員の何人かを連れて観に行った。これまでのミュージカルの常識を破るような舞台の展開に鳥肌が立つような興奮を覚えたことを記憶している。

今年に入って上演しているのは東京と3月に開幕した福岡での2箇所だけだが、その福岡の公演にヤングナラに選ばれた「福岡KM」の毛利花が出演しているので観に行った。とても可愛く堂々と演じている姿は孫の活躍を見ているようで嬉しく終始目を細めて見入っていた。そういえば2年前にも札幌でヤングナラを演じていた「札幌KM」の庄司ゆかりの時も同様の嬉しさだったことを思い出した。それに「やまとKM」を昨年退団した三浦涼音も今東京での公演でヤングナラをやっている。

このように各地の子どもミュージカルに所属している劇団員が「大きな夢」の全国的なネットワークのもとで活躍していることはおじいちゃんとしての喜びでもあり「ライオンキング」に限らず東宝などメジャーの舞台にも出演している子が増えてきていること、発足当初は考えもしていなかっただけに改めて劇団の歴史の重みを感じずにはいられない。

しかし「ビリーエリオット」や「アニー」なども同様、子どもの年齢が重要視されるオーディションで例え受かって一時的な名声を手にしたとしても、絶えず自分を磨ける場所に身を置かない限りいつの間にか忘れ去られる厳しい現実に直面することになる。

その点劇団BDPや児童劇団「大きな夢」は力をつけるには絶好の場所であることを信じて自分の夢に向かって大きく羽ばたいてくれることを願っている。



2019年6月1日土曜日

令和元年 6月号

桜の季節が終わり新緑のまばゆい輝きが私の心を癒してくれています。
この原稿を書いているもうすぐ5月を迎えるという時期、我が家の窓から眺める景色も若葉の緑一色に覆われ季節が移り変わることの神秘さを思わずにはいられません。

少し遡って桜の季節を迎えた頃の朝、寝室のカーテンを開けると可愛い小さな蕾が小枝にしっかりとしがみついているのが手に取るように分かり、生の息吹を間近に感じながら春の訪れに毎朝窓を開けるのが楽しみになってきます。

蕾は日を追うごとに膨らんでいき命の誕生を思わせる開花の瞬間に心が踊ります。やがて満開を咲き誇る窓外の眺めは別世界にいるような、まだ訪れたことのない極楽浄土もきっとこのような安らぎに満ちた世界だろうと想像の喜びをこれでもかと掻き立てられるような桜の大画面に一変するのです。

30年も経った古いマンションでもこのような贅沢な環境で暮らしていられることの幸せを感じながらも年齢を積み重ねてきた自らの一生に思いを馳せ、桜の花が開花してあっという間に散ってしまうように時間の長さは異なっても人間の生命が誕生し死滅するという流れと同じような気がしてくるのです。

私たちに与えられた生命も必ず花が散るように終わりを迎えますが、それは肉体が死滅するだけのことであり桜の花が翌年また開花するように私たちに流れている生命は限りなく人間という肉体の花を咲かせてくれるように思います。

このようなことをいつも考えているわけではありませんが、景色のいい私の寝室から四季折々を見ていると自然の神秘さと共に自らの生を振り返ってみたくなるひと時でもあるからです。




2019年5月1日水曜日

令和元年5月号

平成から令和になった記念すべき5月です。

劇団は平成5年に立ち上がり平成の時代をがむしゃらに走り抜けてきました。私が50歳の時劇団四季を辞めなければならなかった事件があり、芝居一筋に生きてきた人生の終末を迎えたようなどん底の中で思いついたのが「大きな夢」でした。

子どもたちと一緒に「大きな夢」を描いてみたい!!  51歳の時に近所に出来たばかりの城山文化センターを拠点に児童劇団をやってみようと思い立ち、家内と二人で3.000枚の募集チラシを配り10月31日の日曜日を最初のレッスン日に設定してスタートすることにしました。

果たして人が集まるのか、全く未知数で不安な気持ちもありましたがどうにか10人の子どもたちが集まってくれました。全員小学生でホッとした気持ちもありましたが保護者の鋭い視線が飛び込んできました。

一人の母親に「本当にあなたは教えることができますか」と不審な目で尋ねられ、それまで考えてもいなかった「責任」という重みが一気にのしかかってきました。子どもたちを預かるということは芝居の世界で長い間生きてきたという経験だけでは済まない人としての精神性や包容力、更には子ども達一人一人の才能を見極め引き出していく指導能力など自身の人間性を問われていることを強く自覚した瞬間でもありました。

10人で立ち上がった児童劇団「大きな夢」が700人に近い劇団員を擁する組織にまで広がり、劇団四季や宝塚歌劇団に入団した者、あるいは舞台や映像の世界で活躍している劇団出身者も増えてきました。

令和の新しい時代に移り子ども達が劇団で培った力を生かして益々輝いてくれればと祈らずにはいられません。 



2019年4月1日月曜日

2019 劇団通信4月号

劇団の専用劇場を作りたい思いを共有し実現に向けて考えようというプロジェクトが昨年3月に発足、少人数ですが今年2月に3回目の会合を持ちました。

最初は大きな夢を語り誇大妄想的なビジョンを謳い上げて自らを鼓舞していましたが、いざ具体的な話し合いになると自分の考えが如何に甘かったか思い知らされています。現実の様々な条件などを拾い上げてみると尚更実現しそうにない高い壁に阻まれ、描いていた劇場の規模もだんだん縮小せざるを得ないところへ追いやられています。

現実のあらゆる角度からリサーチをして実現可能な範囲での討議を重ねていかなければなりませんが、「夢のある大事業!!」と自分の中では位置付けていただけに縮小路線、いや現実を踏まえた可能路線へと頭の中の切り替えを余儀なくされています。

それでも尚私のとてつもない大きな夢を描き続けることが必要なのか、それは自分の能力やキャパシティを遥かに超越した奇跡的な恩寵に頼る戯言のようなもので会合では通用しません。

現在お集まりいただいているプロジェクトチームの皆さんは私など比較にならないほど知識や経験のある方たち、しかも賢明な判断でのご意見やご提案をいただくと私の戯言など一気に吹っ飛んでしまいます。

それでも小さくても自分たちの劇場が持てる話し合いの場が設けられたこと、これから先どのように進展していくかとても楽しみです。父母会の方々でこのチームに参加していただける方がいらしたら大歓迎です。決してお金を徴収する場ではありませんのでお気軽にご参加ください。



2019年3月1日金曜日

2019 劇団通信3月号

心の動きというものはとても不思議なもので、その心次第で楽しくもなれば憂鬱にもなる。であればいつも楽しくなるような心の状態を保てばいいと朝起きてその日一日のあり方を考える。

しかしいつも最初に心に浮かぶのは劇団の運営のことや父母会のこと、子ども達のこと、稽古のこと、さらにそれぞれの人間関係のことなど必ずしも楽しいとは言えないことが次々と頭の中を巡ってくる。

創作のために捻り出す知恵や工夫が足りないとか、キャスティングや出演者一人一人の能力のこと、スケジュール調整やスタッフのあり方など考えるとなかなか楽しさという心の状態に変換できない。いわんや資金繰りや他人の陰口など人間関係のドロドロしたものが頭の中をかすめてくると楽しいどころか混乱を極め、逃げ場のない迷路の中をさまよっているような気分になる。

そんなことの繰り返しで生きているのかと時々厭世的にもなり、情けないぞしっかりしろと必死に心のマイナス面の削除に取りかかろうとしてもパソコンのように簡単にはいかない。しかし頭に浮かんでくるこれらの思考はあくまでも過去の思いの集積であって、これから起こることではないにもかかわらず、取り越し苦労のようにあれやこれや考え、心を乱すような状況を勝手に自分で作り出している。

馬鹿げたことで思いっきり切り替え、朝はやはり「今日一日は全てが上手くいく」と大雑把に宣言できるだけの心の広さを持たなければと自分を戒めている。



2019年1月10日木曜日

2019 劇団通信1・2月号

読売新聞編集手帳に以下のようなことが書いてあった。

夏目漱石は一高(現東大教養学部)への進学前、予備門時代に落第を経験した。それが真面目になる転機になったと随筆に書いている。

<僕の一身にとってこの落第は非常に薬になった…その時落第せず、ただごまかしてばかり通って来たら今頃はどんな者になっていたか知れない>(「落第」) 
更に随想『硝子戸の中』には次の一説がある。
<私はすべての人間を、毎日毎日、恥をかくために生まれてきたものだとさえ考えることもある>大事なのは恥をかいたあと何をするかだろう。


確かにそうだと学生諸君には励みになる文面だと思ったので紹介させてもらった。
落第して落ち込んでしまうか、一念発起して前向きに進んでいくか、それによってその後の人生が大きく変わってくる。失敗や挫折があるからこそ強くなっていくし、失敗して学ぶことあるから新たな道が開かれることもある。失敗を恐れては突き進むことができない。失敗したら恥ずかしい、笑われるという恐怖心が行く手を阻んでしまう。

漱石の言うように人間は恥を書くために生まれてきたもの、誰でも恥をかかないで生きてきた人はいないだろう。私など過去を振り返ると恥だらけ!! それに芝居なんかやってる人は誰でも恥をかく。役者は演出家にダメを出され大勢の出演者の前で恥をかく。しかもベテランと言われる人だって若い役者の前で容赦無くいびられることもある。
恥ずかしいなんて感情を持つような人は役者にはなれないと思った方がいい。