2022年11月4日金曜日

令和4年11月号

 劇団を創設して以来父母会の存在なくして今日の組織的発展はなかったと言えるほど劇団にとって父母会は欠かすことのできない重要なパートナーなのです。児童劇団員の保護者として毎年の公演のために時間と労力を費やし、献身的に従事していただいている皆さんのご努力には片時も感謝の気持ちを忘れたことはありません。

しかしその父母会の運営が決して順風満帆ではなく、様々な問題が発生して楽しいはずの劇団活動が悩みの種の温床になっているような所もあります。人が集まるところでは必ず人間関係の煩わしさが付き纏いますが御多分に洩れず父母会の第一の問題点として立ち塞がっています。

誰しも気の合う人と楽しくやりたいというのは当たり前のことですが、常識的に筋の通らないような偏屈な人が一人でもいるとグループの調和が乱れ、その人に掻き回されて本来の健全な父母会活動ができなくなってしまうということです。どうしたら解決するのか相談を受けることが屡々ありますが、内容も様々で一概には言えない複雑な事情を抱えたまま時間の経つのを待つしかない現状に私たち劇団スタッフの悩みも尽きません。

しかしそのような中でも寛大な心を持って立派にグループを牽引しているリーダ格の人もいて、和気藹々と運営されているのを見るとそこは「真の大人」の集団ではないかと思ってしまいます。往々にして職場でも団体でも個人のわがままが許されない制約の中で仕事をしている人であれば物事を円滑に進めるためにはある程度の我慢や妥協はしなければならないことは分かっている筈です。

それが大人の付き合い方であり父母会も同様上手く運営していくための鍵になること必定です。その上で子どもたちが劇団でどのように成長していくか劇団のやり方を信じて暖かく見守っていてくださることが大切だと思います。

生きていて不満や愚痴を言い出したら切りがありません。みなさんの良い面を見ながら明るく楽しい父母会であってほしいと願っています。










令和4年10月号 

 これまでもこのコーナーに何度も書いてきたことですが、劇団のキャスティングや稽古の在り方などに保護者の方々は一切口を挟まないでほしいということです。これは劇団の規約として守っていただけなければならないことです。誰しもご自分のお子さんのキャスティングは一番気にかかるところで、劇団スタッフの評価はどうなっているのか親御さんの判断の基準として見られているようなところがあります。

我が子可愛らしさに他の子どもと比較して、あの子よりもうちの子の方が実力もあるのにという陰口はよく聞かれるところですが、陰口ならまだしも、担当スタッフにメールしたり直接クレームを言ったりすることは規約違反で過去に何度もありました。

児童劇団「大きな夢」は所属している全劇団員に対してどのようにしてチャンスを与えるか、一回ごとのキャストオーデイシヨンでの結果だけでなく、在籍年数や全体の役柄とのバランス、キャラクター、普段のレッスン態度、可能性などいろいろ考えて進めていきます。

そして実力的に優れた子だけに毎年同じようにメインの役を与えることは極力避けるようにしています。しかし該当する者がいない場合にはその限りではありませんが思い切って白羽の矢を立てて奮起を促すことも劇団の重要な責務として捉えています。

その結果、今年は思いもよらない配役によって素晴らしい成果をあげたKMが何ヵ所もありました。特に男の子、いや男性というにふさわしい成長過程の男性陣の活躍が目立ち今後の活躍に一層期待が持てる頼もしさを感じました。

とにかく他の一般的な劇団なら実力主義で出来ない子は切り捨てられていきますが、子どもたちの能力はそう簡単に判断できるものではありません。「大きな夢」はあくまでも子どもたちに内在する可能性を時間をかけて引き出すことに精力を注いでいます。勿論常にメインをやるにふさわしい子はどこのKMにも存在していますが、その子たちに敢えてそうさせない時は、我慢し、耐えて人間的に成長させる機会を与えることも重要だと考えるからなのです。




令和4年9月号

 私の車の運転歴は61年にもなる。免許を取ろうと思ったのは18歳の時NHKのディレクターと一緒に多摩テックという遊園地でゴーカートに乗って競走したのが面白く、よし、小さな車でも絶対に買うぞ ! と決意したのがきっかけになった。

そしてまず知り合いの自動車販売店のおじさんに相談してスバル360という軽自動車を月賦で買うことにした。まだ免許も持っていないのに先に車を注文してしまった馬鹿な奴だと今では思うが、だからこそ一発で免許を取らなければという意気込みだけはすごかった。

今はなくなったが当時赤坂のTBSの真向かいにあった自動車教習所に通い難なく軽自動車の免許を取得することができた。その当時は普通免許よりも軽い軽自動車用の免許制度があったが、それがいつ頃普通免許に変わったのか、あるいは再試験を受けて取得したのか記憶が定かでないが、とにかく軽免許を持って初めて自分の車を運転することになった。

12月も押し詰まった30日だったと思うが慣らし運転をしてから正月を迎え、付き合っていた女性を乗せてかっこいいところを見せようと正月でガラガラにすいていた第二京浜をすっ飛ばした。ところが白バイに後をつけられ取り立ての真新しい免許証に早くも傷をつけられてしまった。

彼女の前で大恥をかいたがそれでも、そんな私を見下さないで今でもそばにいてくれるのが現在の妻である。以来ほとんど毎日のように運転を続けているが、高齢者の事故が頻発している現状では堂々と走れない肩身の狭い思いをしていることも確かだ。

いつかは免許を返納しなきゃと頭をよぎるが、私から車を取ってしまったら生きていられないよ ! 劇団活動に支障が生じるよ ! なんて自分勝手な口実を考えて、もうしばらく運転させてよ ! と、わがまま言ってること許していただきたい。