2021年12月27日月曜日

令和3年 12月号

 劇団の主催公演「リアの食卓」で久しぶりに舞台に立ちました。若い時には経験したこともないようなプレッシャーに押しつぶされそうになりながら必死にもがき苦しんでいました。

覚えたセリフがまともに出てくるのか、頭では覚えていても動きが入ったり、相手役と丁々発止やり合ったりすると途端に真っ白になることもあり、そうなると致命傷です。そんなことにならないためには身体で覚えるしかなく、稽古期間中は何度も暇さえあれば繰り返し独り言のように身体に染み込ませる努力をしていました。

それでも本番になると稽古の時はなんの問題もなく進んでいた箇所で突如セリフが出てこなかったり大事なセリフを飛ばしてしまったこともあり、これは一体なんだろう? 緊張なのか? 年齢の衰えから来るものなのか? 不安が一気に襲ってきました。心が乱れ益々演技に集中できなくなってしまいます。観客にはほとんど分からなくても自分の中では崖から突き落とされたようなショックで混乱に拍車がかかります。

これまで何十年も役者やっていて嘗て経験したこともないこのような心の葛藤から来る恐怖心は決していい結果を生みません。平常心で演じることがいかに難しいことか老いて尚鋭く突き刺さってくるのです。周りの若い出演者を見ていると不安など全く関係ないように見えて羨ましくなるときもありますが、彼らも又それなりの葛藤の中で懸命に演じていることを思うと、やはりナマの舞台というものは安楽ではない深く厳しい修練の場であるに違いありません。

私は今回ほど年齢の限界を感じたことはなく、そろそろこの辺りで役者を退いてもいいと思えるきっかけを与えてくれた舞台となりました。




令和3年 11月号

 女性にとって体重が増えることはそんなに嫌なことでしょうか。確かに食べ過ぎてブクブク太るのはよくないと思いますが、普通に食べて健康であれば何も無理にダイエットする必要もないと思ってしまいます。

劇団にいる子でも中学生くらいになるとダイエットに夢中になり極力食事制限をして痩せようとします。これまでも何人もの親御さんから個人的に相談され本人に直に会っていろいろ話をしたこともありましたが食事を制限し過ぎて拒食症になり普通の生活ができないほど病んでしまった子もいました。

例えば友達から太っていると言われたり、ダンスやバレエの先生からもっと痩せなさいと言われたことなどが引き金になって、必要以上に深刻に受け取って悩み、食べることが罪を冒すような強迫観念に苛まれるようになってしまうのです。

20年くらい前でしたが、劇団の女の子がダイエットし過ぎて入院騒ぎまでなり、それでも元に戻すこともできず療養地のようなところへ転院したにも関わらずその後廃人同様になったという知らせを受けたことがありました。特殊な例だとしても初期の段階で気がつけば適切なアドバイスができたのにと悔やまれてなりません。

女の子たちは何故そんなに痩せることに憧れるのか、欲しいものも食べないで我慢をしてひたすら痩せることに費やす人生なんて何のために生きているのでしょう。痩せれば美しくなれるという迷信を実践しても傍目からは病気のような生気のない人間に映ってしまうのです。

若者の特権は大いに食べて思う存分からだを動かし明るい快活な生き方をすることにあるのです。親から与えられた身体を大切に活かすことが生をうけた子どもの勉めでもあると思います。(女性から反対意見で攻撃されるかもしれませんね。怖い!!)




令和3年 10月号

匿名のメールが時々劇団宛に来ますが、これほど厄介なことはありません。一方的に言いたいことだけ言って自らを名乗らないのは対応に困ります。劇団がコロナ感染対策を怠って子ども達の安全を脅かしているなど全くの誤解に基づくものですが、私たちがどれだけ感染対策に苦慮し重点をおいて活動しているか、組織の末端にまで届いていないもどかしさを感じてしまいます。

「現在のコロナ禍にあって何故こんな時に各地の公演を強行するのか、子どもや親心を利用して金を搾取し、利益だけを考えているのは悪徳宗教に似た悪意を感じる。これまで子どもたちのためだと代表者が語ってきたことは嘘ばかりだったと気づいた。」「父母会役員が行政の要請を断り一般会員の意見も聞かずに周りをねじ伏せて公演を強行しようとしている。これも劇団の組織的指示なのか」等どうしてここまで飛躍するのか、悲しくなるばかりです。

いちいち気にしていても埒が明きませんが、往々にしてSNSで誹謗中傷するのと同様、なぜ真実を確かめないで投稿してしまうのか、卑怯なやり方としか言いようがありません。ただ劇団は公的な学校ではないので悪意を感じるような場所だと思われるならさっさと辞めてもらった方がいいでしょう。

 コロナ渦のことに限らず、劇団は各KMの父母会の独自の運営を尊重しています。ですから劇団が強制的に指示することもなく、あくまでも父母会役員と話し合い地域の様々な状況など兼ね合わせた上で双方合意のもとで運営してもらっています。劇団だけが先走ることもなく、行政からの指導に逆らうこともなく、子どもたちの安全を第一に考えながらこの厳しい時期を乗り越えています。 





令和3年 9月号

歳を重ねてくると残された時間を嫌でも考えるようになります。そして果たして自分の生き方が良かったのか、これまでやってきたことが本当に自分のやりたかったことなのか、などと反省も含めて振り返ったりもしますが、一方ではそれでもまだ出来ることはあるはずだと歳を省みず少し前向きな生き方に心を揺さぶられることもあります。

この世に生きている人間は誰一人として同じ人はいません。自分というキャラクターは世界でただ一人、だったら世の常識や平均年齢などに惑わされることなくやりたいことをやればいいじゃないか、ある意味わがままを通したっていいじゃないかと思うのです。もちろん自分のわがままで周りに迷惑をかけたり害を与えたりするのではなく、自分という存在意義をしっかり見つめた上でのわがままであれば許してもらえるかもしれないと思うのです。

元来気の弱い私は人様に気を使うことが多く、全てが丸く収まるように感情をコントロールしながら人間関係の維持に努めています。その結果仕事上でも双方が諍いや争うこともなく円滑にいっていると勝手に思いこんでいるところがあり、時々そのような対応が煩わしくなって思いっきり大声を張り上げたくなる時があります。

これまで忍耐第一と言い聞かせながら大人しく‥? していましたがそれでいいのかと自問を繰り返す日々が続いています。自分の気持を素直に表現できる「わがまま」は許されてもいいのではないかと思いますが、「何をとぼけたことを、これまでも充分にわがままを発揮していたくせに」と反発の声が聞こえてきそうです。

ハイ、確かにそうですが、わがままに見えないやり方を工夫しようと思っています。





2021年8月9日月曜日

令和3年 8月号

 最近劇団員や劇団出身者の外部の大舞台での活躍が目立ってきた。劇団四季の人気ミュージカル「アナと雪の女王」は6月に開幕したばかりだが、新百合KM出身の浦山遥が出演するというので招待してくれた。アンサンブルの中でも主要な役で活躍している彼女の奮闘振りに心湧き立つ思いで見入っていた。

又、西船橋KM出身の辻本朱里が宝塚の初舞台で新人の口上を述べるというので本拠地の宝塚大劇場に足を運んだ。宙組(そらぐみ)の公演で折しもそこには初台KM出身の田草川ゆかり(澄風なぎ)が大先輩として出演している。

その公演の冒頭で新人としての辻本の口上を述べる初々しさに今後の活躍を期待せずにはいられなかった。それにしても先輩の澄風なぎの成長振りには目を見張るものがあり、舞台上での華やかさキレの良さ、笑顔の素晴らしさに惹かれ久々に宝塚を堪能してきた。

さて、出身者でなく現役の劇団員でいきなり話題のミュージカルの主役に抜擢された幸運な男の子がいる。10月7日から東急シアターオーブで開幕する「オリバー !」の主役オリバー・ツイストに東久留米KM越永健太郎(中1)が厳しいオーディションを突破して選ばれたのだ。

B-プロに所属してこのチャンスを掴むことになった。併せて浦安KMの黒川明美も子役のアンサンブルとして出演する。又大先輩の西船橋KM出身の北川理恵も「オリバー !」で共演するが彼女は現在様々な大手の舞台で切れ目なく活躍、アニメ「プリキュア」の主題歌も歌っている。

南大沢KM出身の高原華乃は8月7日からの銀河劇場での「鬼滅の刃」に出演、大阪でもやって東京の凱旋公演が控えている。

これからもB-プロを通してメジャーで活躍する劇団員の輩出を期待するところである。






令和3年 7月号

 若い人たちを見るとうらやましく思う度合いが日に日に濃くなっていく。肌をみれば何の汚れもないようにツルツル輝いているし、例えニキビが花盛りであっても全身から発散している生気が漲っている。若さというものはあらゆる可能性を内包しているから自分の人生をいくらでも有意義に大きく展開させることができるからうらやましいのだ。

思うようにいかなくても失敗しても恐れることはない。いくらでもやり直せばいい。世の成功者と言われている人は失敗や挫折を人並み以上に経験し、そこから這い上がってきた人達だ。

スポーツや芸事は厳しい練習や稽古を繰り返しやっていることは誰でも知っている。行く手を阻む壁が立ち塞がりそれを乗り越えなければ勝利を掴むことができないことも知っている。しかし長い人生に例えるとスポーツの訓練のように必死に耐えて努力をしなければならないことを知っているだろうか。

一度や二度どん底に落ちたからと言ってそこで諦めてしまったらそれでおしまいだ。這い上がってそれまでの失敗の経験を生かして再び挑戦していけばいいのだ。若者の持つエネルギーというのは簡単に枯れたりしないが年齢を重ねてくるとあっという間に下降線を辿ることは誰よりも私自身が一番よく知っている。だからこそ若いうちにどんどんチャレンジしていけばいい。それが若者の特権でもあるのだ。

のほほんと遊びや快楽に浸っているうちにその特権はいつの間にか期限切れになって消えてしまう。今、今を精一杯生きないのは勿体ない。明日がないと思えば今日をどれだけ真剣に生きられるか、一日一日を大切に生き切る自分の人生を豊かなものにしてほしいと願わずにはいられない。





令和3年 6月号

 コロナ禍にあって劇団もいろいろ振り回されていますが成るようにしかならないと腹をくくって開き直っています。5月のゴールデンウィークを挟んで出された緊急事態宣言が5月一杯に延長されると聞いた時にも3日後のアカデミー公演「彼女たち」はどうなるのか心配しても仕方ないので成り行きに任せることにしました。幸い劇場使用が宣言下にあっても50%の集客であれば可能という政府の緩和策が施されギリギリで上演態勢に入ることができました。

ところがゲネプロの日になってメインキャストの一人が身体の不調を訴えたために万が一のことを考えて降板させ代役を立てることにしました。何ヶ月も稽古して積み重ねてきた役を、しかも予めアンダースタディーとして控えていたならまだしも、代役でできるのか !? バニック状況に陥りました。

演出助手の福原佑実であれば出来るかもしれない、と演出の中沢千尋が本人に打診したところ複雑な思いを抑えてOKしてくれました。本番の前日です!!  夜も眠れなかったに違いありません。一応カンニング用に持ち道具のファイルに台本を忍ばせてやりましたが、正に奇跡 !!  何の損傷も感じない程凄腕のピンチヒッターは本番の舞台でしっかり役目を果たしてくれました。

彼女がいなかったら公演中止になっていたところを見事に救ってくれました。又2日目の最終回では上演途中で気分が悪くなった高校生がいてその穴埋めに出演者が本番中必死でカバーするという前代未聞のアクシデントもありました。しかしキャリアのあるチームワークによってこれまでにない高い評価を受けるに至り、成るようになった感慨深い体験をすることになりました。




2021年5月21日金曜日

令和3年 5月号

 3月から4月にかけて卒業や入学、そして就職など社会全体が大きく変化する時期でもあります。新しい環境に胸を弾ませる者もいれば、緊張で身体の具合が悪くなったり、未知の世界に飛び込むような不安にかられて精神的に落ちこんだりする人もいます。

しかしいずれにしても人間誰もが通過しなければならない道のりであり、こんな筈ではなかったと思いながらも、大なり小なり人生の訓練所に入って磨きをかけられていくのです。私のように高齢者になっても未だにこれでもかこれでもかと研磨機にかけられていますが、若い人とは比べ物にならないほど人生のキャリアがあっても容赦なくふりかかってきます。

高い山に登ろうとすれば試練の連続、低い山の頂上で団欒するような楽しさはありません。自分はどの程度の高さを目標にしているか、人それぞれ目指すところは違っても人間を鍛え上げてくれる研磨機から逃れることはできません。

但し磨かれる度合いにも段階があって適当に平凡な人生を送ればいいと思うような人にはそれなりに柔らかい研磨機で済まされても、芸術やスポーツなど限りない努力を求められるような世界では厳しい研磨機が次から次へと与えられ徹底して磨きをかけられるのです。

若い人にはどんな夢でも描ける自由が与えられています。そしてチャレンジできる無限の可能性があります。その夢を育むために向上心という素晴らしい意識を持ち合わせています。

自分が好きで夢中になれることの中に本来の才能があることを信じて果敢にチャレンジしていってほしいと思います。 





令和3年 4月号

 ある子どもミュージカルでの話ですが、公演をすることになっていた会場が突如新型コロナウイルスのワクチン接種の会場に決まったために予定していた公演ができなくなったというのです。行政が決めたことなのでいくら文句を言っても通用するはずもありませんが、あまりに一方的な強引さに開いた口が塞がりません。

しかし父母会の皆さんは怯むこともなく代替の会場を探し出し、却ってキャンセルした会場よりも数倍もグレードの高いホールが見つかったというのです。私は素晴らしい教訓として拍手を送りたい気持ちになりました。

もちろん経済的には当初の予算を遥かに上回ること必定で劇団としてもその埋め合わせをしなければと思っていますが、キャンセルになった途端の父母会の素早い対応、行政に対する怒りよりも気持ちを切り替えて行動を起こしたその結果が通常では考えもつかなかったような最良のホールが与えられたのです。

しかしその後キャンセルに対しての賠償問題などがあるにしても、いち早く公演を成功させるために奔走したこのカンパニーの快挙が今後どのような影響をもたらすのかとても楽しみになってきました。

何事もマイナス的に捉えるのではなく、きっと良くなるという信念を持って前向きに進んでいくことが最も大切なことのように思います。その時点では最悪と思われるような事でも後になって考えてみると人生の重要なターニングポイントとなっていることに気がつきます。たとえ無駄と思われるようなことがあってもそれは自らを高めるために与えられていると思えばいいのです。

必ず良くなるという信念を持つことが人生必勝の真理だと思いたいですね。


2021年3月20日土曜日

令和3年 3月号

 劇団とB-プロとの関係について書いてみます。

児童劇団「大きな夢」は情操的教育も含め、学校では体験できない純粋なミュージカル活動の場として定着しています。それに対してB-プロはマスメディアを中心に仕事を斡旋しているプロダクションです。

純粋性を重んじる児童劇団「大きな夢」とプロ的活動のB-プロとは相反するように思われますが、児童劇団で育んだ人間教育的成長と舞台創作の実体験で得た演劇的能力は劇団独自の成果として内外に認められるようになってきました。

少年野球を例に取れば実力のある選手は更にステップアップできる場を与えてやるのがチームを率いる指導者の役目であり、同様に劇団でも能力のある子はどんどん引き上げていく機会を与えてやらなければならないというのが私の考えです。

スポーツ界はタイムの速さや勝負の点数で決まりますが、演劇界や芸能の世界では簡単には評価できるものではなく潜在的能力や才能、将来性の見極め、ルックスやキャラクターなど一定の基準がないだけにオーディションによって求められることになります。それだけにチャンスは限りなくあってやりたいと思う子にはどんどんチャレンジさせてみるのがB-プロの仕事なのです。しかし劇団あってのB-プロであり、劇団の公演や活動に支障をきたさないように細心の注意を払って事に当たっています。

しかし現状のB-プロはほとんどが出演料の安い子役を送り出す仕事であるために9年間やっていても未だに経済的には成り立っていません。いま望まれるのは劇団でしっかり実力をつけて成長し劇団の大人の舞台でも活躍しながらB -プロで立派に仕事してくれる人材の確保が急務なのです。




令和3年 1,2月合併号

 昨年の第22回目の「夢コン」はコロナ禍の影響で入場者が本選出場者とその家族、それに卒団する劇団員とわずかの招待者に限られ、例年のような会場での盛り上がりには及びませんでした。

しかし劇団としては初のオンライン配信による生中継を実施し会場に来ていただけなかった多くの方々にもご覧いただくことができました。コロナ終息が覚束ない状況の中では今年の各地KMの公演もオンライン方式を取り入れる方向で準備しているだけに、試験的ではあったにせよ「夢コン」での成果はしっかり受け継がれていく確信にも繋がりました。

あのNHK紅白歌合戦ですら無観客で行った異例の番組になりましたが、贅沢すぎるスタジオなどのいくつかの施設を使いまくり本来の形とは異なってやりすぎた面も目立ち首を傾げるシーンも少なからずありました。おそらくNHKも試行錯誤していたのかもしれませんが私だけの感想かもしれません。

このように世の中全体が配信による効果をどのように確立するか模索しているところでもあり、画面で観るのと実際のライブとの隔たりは当然埋まることはないにしても、遠隔地でも鑑賞できるライブ配信の利点は観客層を拡大するという意味ではこれまでにはない恩恵をもたらしているように思われます。

 劇団BDPでこのライブ配信を活用することは更に多くの人々の目に触れる絶好のチャンスと捉え、今後の活動に新たな活力を生み出す力強さを感じさせてくれます。今の混沌とした世の中でも絶えず向上心を持って努力を怠らず、溌剌とした明るい笑顔と人を思いやる優しさで活動していけば自ずと劇団は繁栄の道を辿っていくことになるでしょう。





令和2年 12月号

 作家三島由紀夫が自決して半世紀、マスメディアでは没後50年の特集記事で賑わっています。

1970年11月25日、私も血気盛んな28歳の時でした。陸上自衛隊市谷駐屯地に突入した三島由紀夫がバルコニーで演説しているのをテレビで見ていました。鉢巻をしめた勇ましい姿で日本の現状を憂いているような、日本のために決起を促しているような、周りの罵声ではっきり聞き取れなかった騒音の中での演説だったように記憶しています。

その後三島と一緒に乱入した楯の会四人のメンバーの内の一人古賀という男の介錯で割腹刎頚したという二ユースが流れてきました。三島由紀夫は小説家としては勿論、戯曲や評論、随筆、映画の監督、俳優としての出演、舞台の演出等とどの領域を取ってみても恐るべき才能を発揮して自己を顕示していましたが、そのような類稀なる才能を持った作家が思想的には極度に偏ったと思われた行動をとって45歳という若さで自らの命を絶ってしまったのです。

私はその頃赤坂乃木坂の今で言えば一等地の路地裏の古い一軒家の一部を借りて劇団を主宰し小劇場活動をしていました。詰め込めば30人位は収容できる空間で1ヶ月とか2ヶ月の芝居を上演していましたが、あの事件があってすぐ後に三島由紀夫の自決を題材にした「四人の戦士」という戯曲を自分で書いて演出し、主演しました。今タレントとして活躍している高田純次君も四人の戦士の一人として出演していました。

あの頃の私は三島由紀夫の憂国的な思想に共感し、上演したその芝居も独善的なもので、今思えば若さで突っ走った傲慢さの現れと省みながら恥ずかしい思い出として記憶に留めています。





令和2年 11月号

 人は誰でも二面性を持っているものなのでしょうか。自分にとって都合の良い時は素直に受け取って反応しても逆の場合には少し取り繕って弁明したりすることがあります。

日常の些細なことでのこれらの言動はある意味人間関係を円滑に行うための方便であるかもしれませんが社会的な事件として扱われるような大きな問題が発覚した時など、必死になって自己弁護につとめどこまでが真実でどこまでが虚偽なのか分からなくなる事例があり過ぎるような気がします。自分が不利になるような発言を極力抑え正当だと思われる部分を強調して懸命に逃れる道を作って人間の二面性をフルに活用しているかのような醜態は後を断ちません。

人は窮地に追い込まれると二面性を発揮するのでしょうか。大なり小なり自分を良く見せようと言う意識が働きます。素直に自分の欠点や落ち度を認める人は稀にはあってもあまり見たことはありません。人間の生きる知恵なのでしょうが表と裏が全ての人間に備わっているように思っても悪知恵ではなくて良い方の知恵を努力して出せる勇気を培って欲しいと思います。

悪知恵によって人を貶めたと一時的に成功したように思っても長く続くものではありません。二面性というのは善悪だけでなく、優しさがあっても怒った時の人が変わったような凄まじさ、ボランテイア活動に勤しんでいるような人が意外と人間関係がうまくいっていなかったり、綺麗な作品を創作する人の日常があまりにも汚すぎたり、数え上げれば切りがありませんが、そういうものも含めてそれが人間だということでしょうか。

どんな人に出会っても柔軟に対応できる心の広さを持ちたいものです。




令和2年 10月号

 劇団はもうすぐ10月31日で創立27周年を迎えますが丁度12年前の創立15周年の時にそれまでの劇団の歴史を綴った私の書籍を出版しました。

当時の劇団通信に毎号連載していたものをまとめたもので、読み返してみるとよくぞここまで辿り着けたものと我ながら驚く程の波乱と挫折の繰り返しの半生紀にもなっています。私の人生はそこでビリオドを打ってもいいようなつもりで書きましたが、その後の劇団の変遷を考えるとそれ以後に立ち上げた「子どもミュージカル」の数も多く、私の記憶に残っているうちに書き留めておかなければという焦りにも近い気持ちに動かされて続編を出版することにしました。

しかし現在所属している劇団員や父母会の方々は前回の書籍に目を通す機会がほとんどないので、続編と言っても前回のものも含めて一冊にまとめたものになっています。各子どもミュージカルの立ち上げに至る過程など詳細に書き綴っていかなければならないと思いながらも紙数の限度や私自身の記憶の曖昧さなどから書き切れていないもどかしさも随所にあります。

年々忍び寄る老いの度数が激しくなっていく中で致し方のない現象ではありますが劇団の全体の大きな流れとして捉えてもらえればという勝手な口実で出版に踏み切りました。以下、本のはしがきの一部です。

【私が学び体験してきたそのひとかけらでもいい、子どもたちの成長に役立つことがあれば積極的に提供していこう。もともと芝居が好きだったし、俳優生活以外に生きる道を考えたこともなかったが児童劇団「大きな夢」は立ち上げる寸前まで私の生活設計に組み込まれているものではなかった。五十一歳になるまで頭の片隅にですら存在していなかったのである】