2023年12月25日月曜日

令和5年 12月号

 創立30周年記念公演も無事終えることができました。80人の子どもたちに囲まれて幸せな環境での公演でしたが、一方では自らのプレッシャーに押しつぶされそうになりながらの厳しい公演でもありました。

今年に入って二つの舞台に出ると決意した瞬間からこれまでにないプレッシャーに襲われ、コロナの後遺症が一年余経過しても元の体調に戻れない中での無謀な決断だったからです。それに加え体調不良によってもし途中で出演できない状況になれば公演中止にもなりかねないシングルキャストの重圧がのしかかり、取越し苦労的な妄想と闘いながらの日々が続いていったのです。

就寝時になると咳き込むのが当たり前のような日常には慣れてはきたものの舞台の最中に咳き込んだらどうしようという恐怖心は本番までずっと付き纏っていたのです。しかし老骨に鞭打つとは正にこのような状態であり、最終的には開き直るしかありませんでした。

楽屋で準備しているときに咳は出ても舞台に上がってセリフを言っている時には不思議と咳のことは忘れ、逆に相手のセリフを聞いている時や間がある時に限って身体の中から出るぞ、出るぞという信号が送られてくるのです。それを押し留めるために腹筋に力を入れて耐えていなければなりませんでした。

  このような状況の中でも何とか公演を全うできたのは自分の力ではない不思議な力によってもたらされたもののような気がしてなりません。それにしても周りの出演者は一部の高校生を除いてほとんどが小学生と中学生でその子ども達のバワーには圧倒され続けていました。

子ども達がミュージカルの舞台に立ってのびのびと活躍できる環境を「大きな夢」は30年かけて作り上げてきました。私にとっても劇団にとっても大きな節目となった今回の公演はお陰様で大過なく無事に幕を閉じることができました。感謝しかありません。この機に老兵は去りながら後に続く若者達の活躍を見守り続けていければと思っています。





令和5年 11月号

9月のアカデミー公演「ハムレットレポート」に出演しましたが、私の役者人生初体験の大きな失態、セリフが突如出てこなくなるという哀れな状況に見舞われてしまいました。

セリフというのは一旦頭の中に入ってしまえば稽古を重ねている内に自然に身体から出てくるようになり、例えば他のことを考えながらでもセリフのリズムに乗ってさえいれば淀みなく言葉が出てくるものです。しかし私の場合瞬間頭の中が真っ白になり、次のセリフが出てこない状況が稽古中に何度かありました。そのような時プロンプター(陰でフォローする人)がいて次の頭のセリフの一言でも言ってくれれば思い出せるものを、本番では舞台セットやワイヤレスマイクの問題もあってプロンプターは必要ないと自身で決めつけ、その代わり毎日しっかり身体に覚え込ませようと嘗てないほど反復練習に精を出しました。

老化現象と認めてクヨクヨするわけにもいかないので本番では開き直って舞台に立ちました。ところが稽古中では何の問題もなかった箇所で突然セリフが出てこなくなってしまったのです。みっともない最悪の状態でしたが、周りの若い出演者たちに助けられ何とか終えることができました。

人にはそれぞれ与えられた寿命があって長生きする人もいれば早逝する人もいます。役者としての寿命も人それぞれで私は今の81歳が限度だと言い聞かせています。これまで役者は健康であれば幾つになってもできるものだと考えていましたが、とんでもない、持っている部品がどんどんダメになっていく現実、補聴器をつけて舞台に立っても自分の喋っている音量がどの程度かも曖昧で、こんな情けない状態でやるべきではないと自戒しています。自然が与えてくれた流れの中でもう役者は卒業しろと天から聞こえてきたような気がします。

「緑の村の物語」のセリフで「自分で弾けなくても教えることはできるんだ」と悟るシーンがありますが、そうなのです。私の残りの人生を捧げます。




令和5年 10月号

 最近のミュージカルの舞台は観客事情が大きく変わってきたように思います。

これまでもソロで歌い終わった役者には当然のように客席から拍手が起こっていましたが、最近では劇中でリズムに乗れるような歌のナンバーが出てくると、それに合わせて観客が手拍子するまでになってきました。更にカーテンコールになると拍手が会場一杯に鳴り響き、出演者が舞台上でバウ(おじぎ)するのが4度目くらいになると一斉に立ち上がってスタンディングオーベーションに変わります。

確かにブラボー !!と拍手を送りたい時もありますが、逆にそれほどでもないような舞台でもお決まりのように観客総立ちで拍手を送るようになってきました。私のような偏屈者は意地でも立ちたくないと思った時は座ったままで前に立っている人のお尻をじっと眺めていることにもなります。恐らく私と同じように立ちたくない人もいるでしょうが、よほどの信念と勇気がない限り雰囲気に負けてしまうでしょう。なんとかならないものかと思っても観る人それぞれ感性や興奮度が違うので一概にどうすることもできずただ我慢するだけです。

そんな私だっていつかロンドンで「マンマミーア」を観た時はカーテンコールで異常なほど興奮し縄跳びのようにジャンプを繰り返し拍手を送ったこともありました。とにかく出演者にとっては観客の拍手は演じた舞台が認められた証のように捉え、何よりの励みとなって益々舞台の魅力に取り憑かれていきます。

我が劇団の公演でもそのような傾向が今年になって特に目立つようになってきました。それでもまだ拍手をしていいものか戸惑っているお客様もいるようですが、そのうち子どもミュージカルでもスタンディングオーベーションが当たり前になってくるのかもしれません。

それにしても上演中の携帯の呼び出し音や幼児の泣き声など、お客様の事情がどうあろうと最低のマナーだけは守ってほしいと-----いやいやそれでもお客様は神様でございます。




令和5年 9月号

 婦人之友社の雑誌「明日の友」の編集部から、「緑の村の物語」に主演する私を取材したいとの依頼があり、80名の出演の子どもたちに囲まれての熱気あふれる稽古場で取材を受けました。

この「明日の友」は創刊50周年という歴史ある高齢者向けの季刊誌で、健康問題や日々の生活のあり方など私の年齢になると成る程ごもっともといちいち頷けるようなとても興味を惹かれる内容の雑誌で、私が取材を受けたのは秋号として10月に発売予定だそうです。その編集をしている方が2人のKM劇団員のお母さんで父母会長もなさっていたというご縁から今回のお話をいただきました。

事前に取材の内容や質問事項など提示されましたが、劇団の歴史や私が辿ってきた半生は3年前出版した書籍に詳細に書き綴っていましたので、それに倣ってお話しすればいいと思っていました。ところがいざ対面で質問されたりすると老化の影響もあるのか以前の考え方とは多少違った視点で物を言っていることに気がつきました。いや、老化とは思いたくないのですが劇団に対する考え方や捉え方が微妙なところで変わってきたように思います。

これまでよりも俯瞰的な立場で劇団を見ているような変化でしょうか、30年の歴史を振り返りながら改めて考え直すきっかけを与えられたような気がしたのです。覚醒的タイミングと言えばオーバーな表現かもしれませんが、新たな展開の可能性を示唆する程度のものであっても私にチャレンジする気を起こさせてくれたことは事実です。

又最後の質問で私の大きな夢は何かと問われて現世では実現しないような夢を語りましたが、恐らく後進のスタッフは引き継いではくれないだろうと無責任な発言をしてしまいました。その途端、取材に立ち会っていた幹部の霜島愛生が「そんなことありません。私たちはみんな先生の夢を引き継ごうと思っています!!」と力強く言ってくれたのです。

あゝ私はまだ彼らを信じていなかったのか、恥ずかしさの一方で後を継いでくれるスタッフの心強い想いを知って嬉しさが込み上げてきました。