読売新聞編集手帳に以下のようなことが書いてあった。
夏目漱石は一高(現東大教養学部)への進学前、予備門時代に落第を経験した。それが真面目になる転機になったと随筆に書いている。
<僕の一身にとってこの落第は非常に薬になった…その時落第せず、ただごまかしてばかり通って来たら今頃はどんな者になっていたか知れない>(「落第」)
更に随想『硝子戸の中』には次の一説がある。
<私はすべての人間を、毎日毎日、恥をかくために生まれてきたものだとさえ考えることもある>大事なのは恥をかいたあと何をするかだろう。
確かにそうだと学生諸君には励みになる文面だと思ったので紹介させてもらった。
落第して落ち込んでしまうか、一念発起して前向きに進んでいくか、それによってその後の人生が大きく変わってくる。失敗や挫折があるからこそ強くなっていくし、失敗して学ぶことあるから新たな道が開かれることもある。失敗を恐れては突き進むことができない。失敗したら恥ずかしい、笑われるという恐怖心が行く手を阻んでしまう。
漱石の言うように人間は恥を書くために生まれてきたもの、誰でも恥をかかないで生きてきた人はいないだろう。私など過去を振り返ると恥だらけ!! それに芝居なんかやってる人は誰でも恥をかく。役者は演出家にダメを出され大勢の出演者の前で恥をかく。しかもベテランと言われる人だって若い役者の前で容赦無くいびられることもある。
恥ずかしいなんて感情を持つような人は役者にはなれないと思った方がいい。
2019年1月10日木曜日
2018年12月1日土曜日
2018 劇団通信12月号
最近の小中学校では先生が生徒の名前を呼ぶ時に男の子に「君」(くん)と言ってはいけないそうで男の子にも「さん」づけで呼んでると聞いて驚いてしまいました。
なぜ ? と聞くと男と女を差別しないためだとか。
そんなバカな!! なぜ「くん」が差別になるのか理解に苦しみます。
私たちは幼い頃から男には「君」(くん)で呼ぶのが当たり前だったし、今でも私は男の子に限らず女の子にも平気で「くん」づけで劇団員を呼んでいます。もちろん稽古中は下の名前で呼び捨てにしていますが、呼び捨てにしたからと言って子ども達を見下している訳でもなく、逆に親しみの表現として受け取ることもできるのです。
言葉の使い方は状況によっても変化していくのは当然であって一律に「くん」を使ったら差別になるなんて一体誰がそんなこと決めたのか、教育委員会 ? 文部科学省 ? おかしな教育行政です。
だいたい男と女は持って生まれた役割が違うのは当然であって、それを男女平等という縛りの中で差別意識がなくなると言う安易な考え方はお粗末としか言いようがありません。男女平等というのは人間としての権利を言うのであって決して同等と言うことではないのです。
女の子が「いけねえ」とか「食えよ」なんて言ってるのを聞くと虫唾が走っていたたまれなくなります。なぜ女の子特有の可愛らしさや優しい言葉が使えないのか、言葉の乱れによって人間の品位がどんどん低下しているように思われてなりません。
なぜ ? と聞くと男と女を差別しないためだとか。
そんなバカな!! なぜ「くん」が差別になるのか理解に苦しみます。
私たちは幼い頃から男には「君」(くん)で呼ぶのが当たり前だったし、今でも私は男の子に限らず女の子にも平気で「くん」づけで劇団員を呼んでいます。もちろん稽古中は下の名前で呼び捨てにしていますが、呼び捨てにしたからと言って子ども達を見下している訳でもなく、逆に親しみの表現として受け取ることもできるのです。
言葉の使い方は状況によっても変化していくのは当然であって一律に「くん」を使ったら差別になるなんて一体誰がそんなこと決めたのか、教育委員会 ? 文部科学省 ? おかしな教育行政です。
だいたい男と女は持って生まれた役割が違うのは当然であって、それを男女平等という縛りの中で差別意識がなくなると言う安易な考え方はお粗末としか言いようがありません。男女平等というのは人間としての権利を言うのであって決して同等と言うことではないのです。
女の子が「いけねえ」とか「食えよ」なんて言ってるのを聞くと虫唾が走っていたたまれなくなります。なぜ女の子特有の可愛らしさや優しい言葉が使えないのか、言葉の乱れによって人間の品位がどんどん低下しているように思われてなりません。
2018年11月1日木曜日
2018 劇団通信11月号
劇団も10月31日でちょうど25周年を迎えました。
稲城市で10人ほどでスタートした小さなグループが現在のような大所帯の劇団になるなんて思ってもいませんでした。「大きな夢」という名前にしたのもただ私が好きな言葉であったというだけで、将来に対しての具体的なビジョンなんて全くありませんでした。
しかし不思議なものでネーミングをしたことにおいて自分なりにその言葉の意義を考えるようになり、劇団として「大きな夢」を描くことはどういうことだろうとそのことがいつも頭から離れませんでした。
そして繰り返し繰り返し想念することによって「大きな夢」という言葉が次第に劇団のイメージを確立し次々と新しい展開が生まれてくるようになりました。
果たして現在のような姿が夢が実現した姿であるかどうかは別として、言葉の持つ力というものが人生を自在に操る魔法のようなものであるような気がしてなりません。
だから平素使う言葉が明るく建設的なものであれば運命もそれに伴ってどんどん好転していくものだと思いたいのです。
ところがその逆を行く人々がなんと多いことでしょう。
他人の欠点を暴きたて、愚痴を言ってマイナスの言葉を発し憂鬱な日々を送っている人たち。全て言葉の力で自らを不幸の底に追い込んでいることを知るべきでしょう。
一転して明るい言葉、讃える言葉、人を思いやる優しい言葉を発してみてはいかがでしょう。
お金のかからない人生必勝の方法かもしれません。
稲城市で10人ほどでスタートした小さなグループが現在のような大所帯の劇団になるなんて思ってもいませんでした。「大きな夢」という名前にしたのもただ私が好きな言葉であったというだけで、将来に対しての具体的なビジョンなんて全くありませんでした。
しかし不思議なものでネーミングをしたことにおいて自分なりにその言葉の意義を考えるようになり、劇団として「大きな夢」を描くことはどういうことだろうとそのことがいつも頭から離れませんでした。
そして繰り返し繰り返し想念することによって「大きな夢」という言葉が次第に劇団のイメージを確立し次々と新しい展開が生まれてくるようになりました。
果たして現在のような姿が夢が実現した姿であるかどうかは別として、言葉の持つ力というものが人生を自在に操る魔法のようなものであるような気がしてなりません。
だから平素使う言葉が明るく建設的なものであれば運命もそれに伴ってどんどん好転していくものだと思いたいのです。
ところがその逆を行く人々がなんと多いことでしょう。
他人の欠点を暴きたて、愚痴を言ってマイナスの言葉を発し憂鬱な日々を送っている人たち。全て言葉の力で自らを不幸の底に追い込んでいることを知るべきでしょう。
一転して明るい言葉、讃える言葉、人を思いやる優しい言葉を発してみてはいかがでしょう。
お金のかからない人生必勝の方法かもしれません。
2018年10月1日月曜日
2018 劇団通信10月号
「おはようございます、お疲れさま」は劇団では日常の挨拶として定着していますが、稽古の開始時には「おはようございます。よろしくお願いします」と皆んなで揃って大きな声で挨拶しても、それ以外の稽古場に入ってきた時や、廊下などでスレ違つた時に挨拶ができない子が結構います。
挨拶になれていないか、あるいは照れているのかもしれませんが、現場を担当する指導者も子ども達に挨拶の大切さを教えてほしいと思います。
挨拶ができないために人間関係がギクシャクすることがよくありますが、相手が挨拶しなくてもこちらから挨拶をすればいいのです。普通は挨拶を返してくるものです。
しかし何年も付き合っているスタッフさんで挨拶が苦手な人がいました。こちらから声をかけても一瞥する感じで反応がなく、仕事はきちっとやってくれているので我慢していましたが、先日終演後のバラシの時たまたまその人が片付けをしていた所を通りかかったので、「お疲れさま」と声をかけたら何の反応もなく知らん顔をされてしまいました。
ありえない態度にもうこんな人に仕事を依頼する必要はないと思ってしまいました。芸術家とか技術屋にはありがちなタイプですが、一匹狼で人の世話にはならないで生きている変人ならともかく、組織人として仕事を受けている立場であれば最低の礼儀をわきまえなければなりません。
逆の立場に立って考えればわかる筈だと思いながらもちょっと寂しくなった瞬間でした。
挨拶になれていないか、あるいは照れているのかもしれませんが、現場を担当する指導者も子ども達に挨拶の大切さを教えてほしいと思います。
挨拶ができないために人間関係がギクシャクすることがよくありますが、相手が挨拶しなくてもこちらから挨拶をすればいいのです。普通は挨拶を返してくるものです。
しかし何年も付き合っているスタッフさんで挨拶が苦手な人がいました。こちらから声をかけても一瞥する感じで反応がなく、仕事はきちっとやってくれているので我慢していましたが、先日終演後のバラシの時たまたまその人が片付けをしていた所を通りかかったので、「お疲れさま」と声をかけたら何の反応もなく知らん顔をされてしまいました。
ありえない態度にもうこんな人に仕事を依頼する必要はないと思ってしまいました。芸術家とか技術屋にはありがちなタイプですが、一匹狼で人の世話にはならないで生きている変人ならともかく、組織人として仕事を受けている立場であれば最低の礼儀をわきまえなければなりません。
逆の立場に立って考えればわかる筈だと思いながらもちょっと寂しくなった瞬間でした。
2018年9月25日火曜日
2018 劇団通信9月号
劇団四季を創設し日本にミュージカルを定着させた第一人者の浅利慶太先生が亡くなりました。
現在の日本のミュージカル界は俳優を始め、舞台を支えるあらゆるスタッフが劇団四季の出身者か、または四季の流れを汲む人達であることを考えると、浅利先生の偉業はそびえ立っており、日本の演劇史上に燦然と輝く偉大な人物として君臨していました。
私も2年弱という短い期間でしたが四季の舞台に立たせてもらいました。四季に入るまでは四季のミュージカルを見たこともなかったし、自分のような役者がやるものではないという大いなる偏見を持っていました。
しかし四季に入って「オペラ座の怪人」を見て度肝を抜かれてしまいました。こんなすごい舞台があったのか、これまで知らなかったとはいえ自分の無知さ加減に打ちひしがれ、世界的にヒットしている最高のミューシカル作品が日本でも上演されていることの衝撃、あの時の驚きは今なお私の心に強く焼き付いています。そして入団したばかりの私がまさかその舞台に立つことになろうとは !
一気に私の人生が大きく転換してしまったのです。
のちに浅利先生の私に対する誤解が原因で私は四季を去ることになりましたが、今思えばあの時のあの事件があったからこそ「大きな夢」が誕生したことを考えると不思議な因縁と思わずにいはられません。
浅利先生のご逝去は少なからず私に複雑な思いを呼び起こしています。
先生のご冥福を心よりお祈り致します。
現在の日本のミュージカル界は俳優を始め、舞台を支えるあらゆるスタッフが劇団四季の出身者か、または四季の流れを汲む人達であることを考えると、浅利先生の偉業はそびえ立っており、日本の演劇史上に燦然と輝く偉大な人物として君臨していました。
私も2年弱という短い期間でしたが四季の舞台に立たせてもらいました。四季に入るまでは四季のミュージカルを見たこともなかったし、自分のような役者がやるものではないという大いなる偏見を持っていました。
しかし四季に入って「オペラ座の怪人」を見て度肝を抜かれてしまいました。こんなすごい舞台があったのか、これまで知らなかったとはいえ自分の無知さ加減に打ちひしがれ、世界的にヒットしている最高のミューシカル作品が日本でも上演されていることの衝撃、あの時の驚きは今なお私の心に強く焼き付いています。そして入団したばかりの私がまさかその舞台に立つことになろうとは !
一気に私の人生が大きく転換してしまったのです。
のちに浅利先生の私に対する誤解が原因で私は四季を去ることになりましたが、今思えばあの時のあの事件があったからこそ「大きな夢」が誕生したことを考えると不思議な因縁と思わずにいはられません。
浅利先生のご逝去は少なからず私に複雑な思いを呼び起こしています。
先生のご冥福を心よりお祈り致します。
2018 劇団通信8月号
昨今の演劇界やミュージカル界の華やかなこと、欧米並みに舞台が活気付き一般に浸透してきている現状はとてもいいことだと思います。
海外からの来日公演も珍しくなくなるほど頻繁になり、ブロードウェイやロンドンのウェストエンドで上演されているヒット作品を日本で観られる機会も増えてくるようになりました。また来日公演に限らず海外の作品がどんどん紹介され、劇団四季や東宝系の舞台では人気のロングラン公演が続いています。
しかしそれらの作品を誰でも気軽に観られる値段ではなく1万円を上回る入場料が当たり前のようになってきている現状を見て、制作費に莫大なお金がかかることは分かっていても割り切れないもどかしさを感じてしまいます。
オペラに至っては数万円は当たり前、金銭的に余程の余裕がない限り一般の人たちが家族ぐるみで観るなんてことはほとんど不可能に近いことです。特に俳優やあるいは音楽家として身を立てようとする若者たちにとって世界一流のものを直に観て刺激を受け、向上心を掻き立てられる折角のチャンスがあるのにも関わらず、経済の壁に阻まれ制限されてしまうのは残念でなりません。
俳優志望者はやることが沢山あってお金がかかります。ダンスや歌のレッスン料はバイトで捻出しその上に生活費も稼がなければならないので、とても高額な観劇料までは手が出せないのが現実です。
ハムレットではないが「これでいいのか、いけないのか、それが問題だ」
海外からの来日公演も珍しくなくなるほど頻繁になり、ブロードウェイやロンドンのウェストエンドで上演されているヒット作品を日本で観られる機会も増えてくるようになりました。また来日公演に限らず海外の作品がどんどん紹介され、劇団四季や東宝系の舞台では人気のロングラン公演が続いています。
しかしそれらの作品を誰でも気軽に観られる値段ではなく1万円を上回る入場料が当たり前のようになってきている現状を見て、制作費に莫大なお金がかかることは分かっていても割り切れないもどかしさを感じてしまいます。
オペラに至っては数万円は当たり前、金銭的に余程の余裕がない限り一般の人たちが家族ぐるみで観るなんてことはほとんど不可能に近いことです。特に俳優やあるいは音楽家として身を立てようとする若者たちにとって世界一流のものを直に観て刺激を受け、向上心を掻き立てられる折角のチャンスがあるのにも関わらず、経済の壁に阻まれ制限されてしまうのは残念でなりません。
俳優志望者はやることが沢山あってお金がかかります。ダンスや歌のレッスン料はバイトで捻出しその上に生活費も稼がなければならないので、とても高額な観劇料までは手が出せないのが現実です。
ハムレットではないが「これでいいのか、いけないのか、それが問題だ」
2018 劇団通信7月号
人の命は125歳までは生きられるという説に従えば、私は7月2日が誕生日だから残された人生はまだ49年もあることになります。
一体この先どのようになっていくのか、最近100歳の人が増えて来たからその辺りの感じは大体想像がつくものの、さらに25年先までを考えると手本になる人物がいないだけに宇宙人のような、或いは骨と皮しかないドンキホーテの馬のような感じが浮かんできてしまいます。
生きていても何の役にも立たなければ存在価値はゼロでしょうが、子ども達と一緒にまだ懲りずにミュージカルを創作しているとしたらギネスブックのトップを飾ることになるかもしれません。そんな楽しいことを想像していると私以外の人達はどうなっているのかと余計なことを考えてしまいます。
現在20歳代の劇団員が70代になっても役者を続けているのか、講師の先生たちは? 父母会のお母さんたちはとっくに後期高齢者になって100歳を超えてる人もいれば、100歳近くなってもまだまだ張り切って仕事している人もいるかもしれません。
そして125歳になった私を囲む老人会で夢コンの思い出話などができるでしょうか。入れ歯ガクガクさせ腰が曲がっている人や私を見ても誰なのか思い出せない人もいるでしょう。
そのような私だけが元気で周りの人の衰えだけをクローズアップして考えてみるエゴイスティックな楽しさ‼︎
そんなこと考えて楽しめるのも健康でいられるからで「わかさ生活」のサプリのお陰と感謝しています。
一体この先どのようになっていくのか、最近100歳の人が増えて来たからその辺りの感じは大体想像がつくものの、さらに25年先までを考えると手本になる人物がいないだけに宇宙人のような、或いは骨と皮しかないドンキホーテの馬のような感じが浮かんできてしまいます。
生きていても何の役にも立たなければ存在価値はゼロでしょうが、子ども達と一緒にまだ懲りずにミュージカルを創作しているとしたらギネスブックのトップを飾ることになるかもしれません。そんな楽しいことを想像していると私以外の人達はどうなっているのかと余計なことを考えてしまいます。
現在20歳代の劇団員が70代になっても役者を続けているのか、講師の先生たちは? 父母会のお母さんたちはとっくに後期高齢者になって100歳を超えてる人もいれば、100歳近くなってもまだまだ張り切って仕事している人もいるかもしれません。
そして125歳になった私を囲む老人会で夢コンの思い出話などができるでしょうか。入れ歯ガクガクさせ腰が曲がっている人や私を見ても誰なのか思い出せない人もいるでしょう。
そのような私だけが元気で周りの人の衰えだけをクローズアップして考えてみるエゴイスティックな楽しさ‼︎
そんなこと考えて楽しめるのも健康でいられるからで「わかさ生活」のサプリのお陰と感謝しています。
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